弘法にも筆の誤り
意味 どんな達人でも失敗することがある
由来 「今昔物語集 巻十一」に書かれた逸話

読み方 こうぼうにも ふでの あやまり
弘法とは誰? 空海(真言宗の開祖)
間違えた字 応天門の「応(應)」の字
似たことわざ 河童の川流れ
猿も木から落ちる
上手の手から水が漏る
天狗の飛び損ない
釈迦も経の読み違い

「弘法にも筆の誤り」の由来・間違えた字ついてさらに詳しく知りたい方は続きを読んでください。

弘法にも筆の誤りの意味

その道のどんな達人であっても、時には誤る(失敗する)ことがあるという意味

弘法大師(空海)
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弘法にも筆の誤りの由来

弘法にも筆の誤りの由来は「今昔物語集」に出てくる逸話です。

それは次のようなお話です。

平安時代、第50代・桓武天皇(在位781-806)は、平安京の正庁である朝堂院(ちょうどういん)の南正面に応天門を創らせました。

桓武天皇は、門の額に「応天門」と書くように弘法大師に命じます。

弘法大師とは真言宗の開祖である空海のこと。

空海は書の達人としても有名でした。

平安時代の三筆【嵯峨天皇・橘逸勢(たちばなのはやなり)・空海】の1人とされる腕前。

空海は「応天門」と額に書き、その額が門の上部に打ち付けられました。



打ち付けられてから見たところ、なんと「応」(昔の字では「應」)の字の点がなかったのです。

書の達人のまさかのミスです。

この逸話が由来となり、「どんな達人でもミスすることはある」という意味で「弘法にも筆の誤り」ということわざが生まれました。

弘法大使(空海)が間違えた字とは?

弘法大師が間違えた字は、の字だと先ほど説明しました。

間違えた部分はどこ?

では、どの部分を間違えたのでしょうか?

これについては、ネットで「弘法にも筆の誤り 間違えた字」と検索すると、2つの情報が出てきます。

①「まだれ」と「がんだれ」を間違えた

應の字の一角目の点を忘れたという情報です。

②「心」の点を忘れた

上記の2つの情報があります。

どちらが正しいのでしょうか?

どちらが正しいか確認するために、由来となった「今昔物語集」の原文を確認しました。

すると、次のように書かれています。

「亦、応天門ノ額打付テ後、是ヲ見ルニ、初ノ字ノ点既ニ落失タリ」

ポイントは「初ノ字ノ点」という部分です。

「最初の字の点」という意味に思えます。

「応天門」の最初の字、つまり「応」の字の点ということはわかりますが、この資料だけでは、どの点かを判断することはできないでしょう。

先ほど書いた①、②の情報がありますが、由来を見ても判断することはできませんでした。

空海はいったいどの点を忘れてしまったんでしょうね。

弘法にも筆の誤りのもう一つの真実

「弘法にも筆の誤り」の意味は、最初に書いた通り、「その道のどんな達人であっても、時には誤る(失敗する)ことがあるという」意味です。

しかし、このことわざには、もう一つの意味があります。

それは、「弘法大師はやっぱりすごい!」ということ。

今昔物語集には、「応」の字の点をひとつ忘れたことに気付いた弘法大師が、その後に取った行動も描かれています。

原文はこうです。

「驚て筆を抛て点を付つ。諸の人、是を見て、手を打て是を感ず。」

現代語訳すると、「驚いて、下から筆を投げ上げてその点を付けた。人々はそれを見て、手をたたいて感嘆したのであった。」という意味になります。

弘法大師は、忘れた点をつけるのに、筆を投げて見事に点をつけたということです。

名人芸ですね。

弘法にも筆の誤りと似たことわざ5選

「名人でも時には失敗することがある」という意味で使われることわざには、「弘法にも筆の誤り」の他に次のようなものがあります。

  • 河童の川流れ
  • 猿も木から落ちる
  • 上手の手から水が漏る
  • 天狗の飛び損ない
  • 釈迦も経の読み違い
  • 千慮せんりょ一失いっしつ

いろいろなことわざを知っておくと、表現力がアップしますね。

「弘法にも筆の誤り」と「弘法も筆の誤り」どちらが正しい?

この記事では「弘法にも●●筆の誤り」で統一してきましたが、「弘法筆の誤り」という言い方も間違いではありません。

岩波書店の「ことわざ辞典」では「弘法筆の誤り」

旺文社の「ことわざ辞典」では「弘法にも●●筆の誤り」

上記のようになっていましたので、どちらも正解です。

ひとつ言えるのは、現在は「弘法にも●●筆の誤り」という表記が多いようです。

おまけ1:弘法にも筆の誤りを英語で言うと?

Even Homer sometimes nods.

偉大なギリシャの詩人ホメロスでさえも、つい居眠りしてしまうことがある。

ホメロスは「オデュッセイア」という大叙事詩の作者です。

どんな偉大な人でも失敗することはあるという意味で使われます。

おまけ2:空海はどんな字を書いていた?

最後に空海が実際にどんな字を書いていたのか紹介します。

それがこちら。

上記は本の表紙ですが、実物は高野山霊宝館に国宝として収蔵されています。

http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/syoseki.html

弘法大師(空海)が24歳のときの自筆本らしいですよ。

797年の作ということですから、1200年以上前のものが残っているということ。しかも空海の作品ですから、国宝になるわけです。