空手の形(型)の練習は実戦に役に立つ、役に立たないという真逆の意見があります。形(型)の練習には意味があるのか、ないのか、についての私見をまとめました。ご笑覧ください。
私自身の空手の型に対する考え方は
実戦には役に立たないが、練習する意味はある
というものです。
四大流派の型全リストは記事の最後から
そもそも空手の形(型)とは何?
空手には組手の試合と形の試合があります。
形の試合を「ただの踊りでしょ?」とバカにする人もいます。
そもそも空手の形とは、古くから伝わる攻防の技を、一連の決まった動きにまとめたものです。
四方八方から攻撃されることを想定して、受け、攻撃を決まった順番で演じるということです。
実戦で相手が決まった順番で攻撃してくるなんてあり得ないわけですから、形の練習なんて実戦に役に立たないと考える人が多いのでしょう。
形なの?型なの?
表記について「形」が正しいのか、「型」が正しいのかについてですが、これは流派・会派によって、どちらを正しいと考えるかは異なるようです。
空手が生まれたのは沖縄ですが、沖縄空手では「型」を使うことが多いようです。
一方、現在日本で最大の空手団体である全日本空手道連盟では「形」を使っています。
ちなみにある道場では「形」を重視する理由を次のように考えています。
「型」という漢字の持つ意味は、「鋳型(いがた)」「もととなる形(原型)」であり、固定してしまって変化がない。
これでは意味がなく、相手によって自由に変化ができる「形」こそが重要である。
これも考え方のひとつであって、唯一の正解というわけではありません。
むしろ
現在の各流派の型はすべての挙動が決まっていて、その通りに固定して演じるのだから「型」が正解
という考え方もあるでしょう。
「形」でも「型」でも自分がというか、自分が所属する道場が使っている漢字が正解ということになるでしょうか。
私自身は、空手の歴史を考えると「型」がいいのではないかと思っています。
型の練習は実戦に役に立つ?それとも意味がない?
最初に書いたように、私自身は型の練習をしても実戦には役に立たないと思っています。
型という考え方は、西洋の格闘技には見られません。
この時点で実戦的ではない、精神性を重んじる日本人らしい考え方のような気がします。
しかし、型の練習をする意味がないかというとそんなことはありません。
こう考えるようになった理由は空手の歴史と関係があります。
空手はもともと中学の体育の授業だった
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空手の歴史をごく簡単にまとめると、当時の琉球王国(現在の沖縄県)に伝わった中国拳法がもとになっています。
琉球王国に訪れた中国人から中国拳法を学んだ琉球の人々が独自に発展させたのが首里手、那覇手、泊手と呼ばれる武術です。
そう、この当時は武術だったのです。戦いのための技術です。
だから超実戦的なものだったはずです。
そして年月は流れ、首里手と那覇手を学び、現代空手道の基礎を作った人物である糸洲 安恒(いとす あんこう)が登場します。
ちなみに、現在の伝統派空手4大流派と言われる糸東流の開祖である摩文仁賢和(まぶに けんわ)は糸洲から首里手を、東恩納寛量とうい人物から那覇手を学び糸洲の「糸」と東恩納の「東」を取って「糸東流」を作ります。
さて、首里手と那覇手という武術を学んだ糸洲 安恒(いとす あんこう)ですが、琉球王国の王府で働いていました。
しかし明治12年、明治政府によって廃藩置県が実施され、琉球王国は消滅します。
廃藩置県が行われ、沖縄県となったので、教育制度も変わりました。
その制度改革の中で、中学校の体育の授業として「唐手」が取り入れられます。
この「唐手」を体系的にまとめたのが糸洲 安恒(いとす あんこう)なのです。
糸洲は自分が学んだ首里手の型と自分が考えた型を合わせ、14の型を作り、中学校の体育で教える「唐手」を作りました。
中学校の授業ですからね。
切った張ったの武術ではありえないわけです。
想像するならば、「体操」といっても大差はないかもしれません。
つまり、唐手は誕生の瞬間は中学校の授業で教える「型」であり、実戦的であったはずがないのです。
本土に伝わった空手
糸洲が作った「唐手」はどういう理由かはわかりませんが、本土には伝わらなかったようです。
本土に空手を伝えた人物は、実質的な松濤館流の開祖と言われる船越 義珍(ふなこし ぎちん)です。
船越も糸洲と同じく那覇手、首里手を学び、一説では糸洲にも師事していたとか。
船越は沖縄では教師をやっていて、小学校で教師をやりながら、唐手の指導もしていました。
その指導はナイファンチやピンアンなどの型でした。
つまり、船越の教えていた唐手も実戦的なものではなかったと考えられます。
この船越が大正11年(1922年)に上京して、文部省主催の第一回体育展覧会で唐手の型を披露します。
これが本土に唐手が伝わった最初と考えられます。
そして船越はなぜか組手を嫌っていたようで、型の稽古しかしなかったようです。
それを不満に思った人たちによって組手が発展していくのですが、それはまた別の話ですね。
このように、沖縄で唐手が誕生したとき、そして本土に唐手が伝わった時も実戦を重視するのではなく、教育を重視したものとして伝わったように思います。
だから、はじまりからして、型の稽古が実践に向いているとは思えないのです。
型の練習は意味がない?
では、型の練習をするのはやはり意味がないのでしょうか?
いえ、そんなことはありません。
なぜか?
確かに、挙動を単に覚えて演じるだけでは、意味はありません。
(型のひとつひとつの動きを「挙動」といいます。)
しかし、型には空手における立ち方、移動、受け、攻撃の基本的な動作が凝縮されています。
そして空手の型は四方八方から敵に攻撃されている状態を想定して作られています。
もちろん、想定通りの順番で相手の攻撃がくることはあり得ませんが、敵を想像しながら攻防をシミュレーションすることに意味があるのです。
そして空手の型にはたくさんの種類があり、相手の多くの攻撃パターンを網羅しています。
型のひとつひとつの挙動を相手の動きを想定しながら行うのは、いわばイメージトレーニングなのです。
同じ動作を繰り返し練習することで、反応速度も上がります。
受け、突き、蹴りにもキレ、スピードが出てきます。
ポイントは「相手の動きを想定しながら」ということです。
相手の動きをイメージすることなく、ただ単に覚えた動作を繰り返すだけでは意味がありません。
型の練習に意味があるか、ないか。
それは、あなたが型の練習にどのように取り組むかによって決まるのです。
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